

カナメくん~サラリーマンから畜産家に転身
(2023/3更新)
カップル 40代 兵庫県と香川県出身 沖永良部島在住 畜産農家とデザイナー
僕は人気タレントのダウンタウンを生んだ兵庫県尼崎市で生まれ育ちました。
ロックバンドに明け暮れ、その後はサラリーマンをしていたけれど、東日本大地震が人生を変えました。
それまで考えたこともなかった「幸せな生き方」を真剣に突き詰めたら、祖父母の出身地である沖永良部島で農業
という選択になりました。お付き合いしていたデザイナーのプルちゃんも移住に大賛成で、
2015年11月10日に二人そろって沖永良部島へ。
沖永良部島で「要ファーム」を立ち上げて、念願の牛舎を建設。
環境負荷の少ない畜産業を目指しながら黒毛和牛15頭の繁殖農家になりました。
若手農家による任意団体「エラブネクストファーマーズ」を設立し、代表も務めています。
どうして沖永良部島だったの?
幸せな生き方って、どんな生活を送ることなのだろうか?と考えていたら、先祖の島が頭に浮かびました。
祖父母は沖永良部島で育ちましたが、当時はみんな、島を離れて都会に出たようです。きっと経済的に裕福になることを夢見ていたのだと思います。
都会で生まれ育って、都会暮らしに疑問なんて全く抱くこともありませんでした。でも、東日本大震災がきっかけで、都会暮らしが本当に幸せなのか?と考えるようになりました。都会以外の場所で暮らすことを考え始めたら、おじいちゃんとおばあちゃんが生まれ育った沖永良部島が頭に浮かんだのです。
でも、沖永良部島には祖母の葬式で訪れたことが1度あっただけ。知り合いがいるわけでもないんで、SNSを駆使して、島の人とつながっていきました。
その後、何度か足を運び、4度目に当時付き合っていたぷるちゃんをご先祖様に紹介しに行きました。すると、SNSでつながった島人たちに歓迎され、二人ともすっかり心は沖永良部島の住人。このとき、島で生きていこうと心に決め、島で生きるなら島の基幹産業、農業を生業にしようと誓いました。
どうやって生計を立てていくかをきっちり決めてから移住する人が多いけど、僕の場合は気合!まずは引越して、農業のアルバイトをしながら勉強することにしました。
ぷるちゃんとの沖永良部島旅行から3年、移住の決心もつき、ふたりで2度目の沖永良部島。島の一大イベントであるジョギング大会でハーフマラソンに出場しました。島人のみんなに僕らを覚えてもらうために、僕はタキシード、プルちゃんはウェディングドレスを着用。衣装もバッチリなので、ゴールしたその足で、知名町役場に向かいました。婚姻届けを提出し、正真正銘のゴールインとなりました。

プルちゃんは縁もない沖永良部島で結婚生活をスタートするのに不安はなかったの?
島の人々に魅了されたのが先で、その後に結婚が決まりました。
私は四国の香川県出身で、沖永良部島とは全く関係なく生まれ育ちました。美大を卒業後、デザイン事務所に就職し、紙を媒体にしたグラフィックデザインやウェブデザインを担当していました。
19歳の時に初めて沖縄をバックパックで旅行して、すっかり沖縄の魅力にハマってしまいました。いつか、必ず沖縄に引っ越そうと思っていました。それから十数年経って、たまたまお付き合いしていたカナメくんが沖縄経由で沖永良部島に墓掃除に行くというので、「あ、沖縄!」ということでくっ付いて行くことにしました。
生まれて初めて訪れた沖永良部島の人々は本当に優しくて、衝撃でした。沖縄はやめて、沖永良部島に住む!と決意してしまいました。だから、結婚より移住決意が先(笑)。
知らないところに住むなんていうことをさっさと決めていいの?
田舎だけど、大丈夫なの?
周囲のそんな心配は無用でした。もともと田舎で育っていて、田舎のことはよくわかっていたので、遠く離れた南の島でも全く気にもなりませんでした。本土に行く交通費はちょっときになりましたけどね(笑)。
畜産農家は素人でも始められるの?
続けていたら、島の方から声がかかりました。
移住する前は、沖永良部島に移り住んだら農業をやるんだと、ひとり意気込んでいました。でも、実は農家の現場すら見たことがない、全くのど素人。都会で育ち、ずっとサラリーマン生活を送ってきたので、もちろん、周囲の人からは無理だ、無理だと言われていました(笑)。
でも、何事もやってみないことには始まらない。移住してからすぐに、沖永良部島のいろんな農家さんのところでアルバイトをしていました。あるとき、「牛飼いをしている父親が入院したので、餌やりを手伝って欲しい」と声をかけられたのが、畜産の世界に入るきっかけです。何気なしに始めた牛の世話は本当に楽しいものでした。
牛の世話を引き受けたものの、牛を間近で見るのも初めてだったし、生き物なので死なす訳にはいかないので、必死で本を読んだり、獣医さんに相談したりして勉強しました。牛にどハマりし、漠然と牛を買いたいなと思っていたタイミングで牛を買ってくれないかという農家さんが現れ、これも縁と思い、かなりの借金をして牛を購入しました。

今後は、沖永良部島の畜産を持続可能なものにしたいと考えています。例えば、堆肥の活用とか、濃厚飼料の自給とか、肥育して肉にするまでのシステム作りの可能性を探っています。
また、若手農家を集めて任意団体「エラブネクストファーマーズ」を立ち上げて、新しい視点で島の農業を盛り上げたいと思っています。農家に特化した婚活パーティーや、外国人技能実習生のおもてなしパーティーなどを開催しています。
夢は、農業を島の子どもたちの一番の憧れの職業にすること。そのためにも、みんなが楽しい!と思える活動をしていきたいと思います。

デザインの仕事って、島にもあるの?
今では9割が島の仕事です。
移住した時は、正直、島でデザインの仕事だけで生きて行けるとは思っていませんでした。でも、長いことデザインの仕事をやってきたし、島でも取り敢えずデザインを続けてみることにしました。そのうち、古民家を改装した場所を借りることができ、これも何かの縁と思い、デザイン事務所「かなめデザイン」を設立しました。
島で仕事を始めた頃は、それまでつながりのあった都会の方からの仕事が半分以上でした。でも、商工会メンバーなど島の方の口コミで、島の依頼が増えてきて、今では9割が島の方からの仕事です。本当に感謝しかありません。

/一般社団法人 おきのえらぶ島観光協会のポスター
その後、エラブココ(おきのえらぶ島観光協会)のシェアオフィスに引っ越ししました。島の人がアッと驚いてくれるデザインをもっともっと作れるように腕を磨いていきたいと思います。特に、障害を持たれている方や子供やお年寄りにも分かりやすい“みんなに届くデザイン”、しかも島ならではのデザインをここ沖永良部島で模索し続けます

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